2016年を深刻に振り返る

要約:「経験する自己」としては充実した幸福な一年で、「記憶する自己」としては残念で悔しい一年だった。言い換えると、総じて楽しい日々を過ごした一方で、目標(海外の大学院に留学する)を達成できなかった。

詳細:(以降は有閑な方がお読みください)

 ◆初めに
 初めて書きますが、20代の間、「海外の大学院に留学する」という目標があり、長年にわたって地道に準備を続けていました。昨日今日に思いついた目標ではなく、少なくとも2008年には言語化しています。このときには、「30歳まで一体どうしようか」という問いに対して、「5,6年会社勤めをした後、会社を辞めて大学院でもう一度身の振り方を考える」という答えを立てました。→当時のブログはこちら。長文。

 ◆葛藤と覚悟
 私はマーク・トウェインによる次の言葉を座右の銘としていて、いつも自分を奮い立たせていたことを思い出します。「今から20年後、あなたは、やったことよりもやらなかったことのほうを深く後悔する。ゆえに、もやいを解いて、安全な港から船を出せ。貿易風を帆にとらえよ。探求せよ。夢を見よ。発見せよ」。2008年にフルタイムで働き始めてからも、先述の答を目標にして、ずっと考えていました。「自分ならきっと出来る。何としても実現したい」という根拠なき自信を持っていました。一方で「冷静になれ。出来るわけがない」という不安も強く響いていました。前者と後者の内なる声とで揺れ動く日々でした(誰かに望まれた目標ではないので、原動力を生み出せるのは自分のみです)。結局、葛藤は7年ほど続き、「まあ、ここまで考えられるのだから、覚悟は出来ているのだろう」と最後には納得しました。

 ◆やったこと
 そうは言っても、「したい」と願えば簡単に出来る訳ではありません。自分の他にする人はいないので、自分がやるしかありません。なので実際に目標を達成するために必要なことを少しずつ進めていきました。具体的には次の通りです。
 (1)「そもそも本当に海外の大学院に留学したいのか」、「現在の生活環境を一変させることのメリット・デメリットは何か」についてひたすら考える。
 (2)大学院で学びたい学問領域を見つける。捏造した問題意識ではなく、熟成した問題意識に基づくもの。
 (3)見つけた学問領域を学べる志望校を探し出す。生活環境も考慮する。
 (4)英語を地道に勉強し直し、英語の試験(IELTS)で大学院の出願に必要な点数を取る。
 (5)留学に必要な資金を貯める。
 (6)願書を書き推薦状をもらうなど、受験の申し込み手続きを進める。

 以上のことを少しずつ進めて、最後には去年の冬、志望先を受験しました。先に紹介したブログでは「5,6年会社勤めをした後、会社を辞めて大学院でもう一度身の振り方を考える」と書いており(この目標は常に念頭に置いていた)、当初の見通しから1〜2年遅れたものの、現実に合格する手応えを持つ程度まで辿り着くことは出来ました。

 ◆結果
 しかしながら、結果は全て不合格でした。不合格の理由が書いてある通知を受け取っており、この通知によると、「あなたの過去の学習記録からは、志望する修士課程で必要な専門知識(社会学または社会心理学)が十分ではない。なので却下」というものでした。確かに私は学部課程で社会学または社会心理学の専門知識を習得してはいませんでした(学部課程の学位は国際教養、卒業論文は開発経済に関するものでした)。過去の事実に基づく先方の判断だから如何ともし難く、この理由ならば、再度出願しても同じ結果でしょう。一方で学部に入り直して数年は勉強し直すことは、現実的な選択肢ではありません。またそれで大学院の合格が確約されるわけでもありません。他には志望校と志望者との不一致や応募書類の低品質も理由に挙げられましょう。これらの指摘については、「何とも仕様がない」というのが正直な気持ちです。

 自分にできることは自分なりにやりました。そして「目標の実現までもう一歩」まで辿り着くことが出来ました。しかしながらその一歩を詰めるにはもう十歩ほど必要だと分かりました。この十歩を詰めるのは無理だと思いました。ですので今回でこの目標を諦めることにしました。

 不合格(挑戦の失敗)が決まってからは、文字通り呆然としながら過ごしました。日々の仕事は完全に流し、友達と会っては近況として結果を報告することで、気持ちの整理に努めました。それでも「挑戦が終わってしまって悔しい」とふと考えてしまう日々が続きました。結果は固定しているので、すでに終わっている出来事とは理解していても、やはり長い期間をかけて取り組んできたことを簡単に終わらせることは容易に出来ませんでした。ただ、日々をやり過ごすことで徐々に過去の出来事になっていきました。それでも「悔しかった」と過去の出来事として消化するまでには2〜3ヵ月を要しました(でも今回、このように公表する気持ちの覚悟を持つまでには、年末までかかりました)。

 ◆この挑戦を通じて得られたもの
 次の5点と評価しております。
 (1)前向きで充実した日々。8年間、とても楽しかった。
 (2)初志を貫徹させるための強い意思。「これくらいのことなら自分にも出来るんだな」と理解しました。
 (3)学びたい学問領域を探す上での興味関心の広がりと深み。特に日本社会におけるワークライフバランスと社会心理学について。
 (4)英語運用能力の向上。英語試験の勉強が役立った。
 (5)留学生活に必要な資金(約750万円)。

 ◆この挑戦をどのように位置付けるか
 挑戦の日々に全く悔いはありませんが、やはり、自分の望まない結果に終わってしまったことが物凄く残念で悔しく、打ちのめされました。一方で、最後の結果を以てこれまでの日々をも否定的に彩ることは間違っているのではないかとも思いました。考えが揺らぐ日々を過ごす中、今年の夏頃に「経験する自己」(現在の自分)と「記憶する自己」(最後の自分)は一つの事象に対して異なった評価をしてしまうことを、ダニエル・カーネマン著『ファスト&スロー』を読んで学びました。したがって、今回の挑戦の日々について、私は「挑戦の日々はとても楽しかった(→経験する自己)。一方で結果には本当にがっかりした(→記憶する自己)」と評価することにしています。

 ◆今後
 次の目標は皆無です。20代を費やした目標に代わるような大きい目標がしばらくは無くても仕方ないし、また次に何かを見出すことができれば、その目標に集中します。多分出来るはずです。というのもある日、新聞で見つけた次の言葉が心に残っているからです。
 「価値ある挑戦というのは、本来決して無謀なものではなく、周到な準備に支えられた案外地味な行為である。確かに、価値があればあるほど、外部から見るとその挑戦は無謀なものとして映る。周到な準備といっても、永遠に続けるわけにはいかないので、挑戦者はどこかで『断崖から身を投げる』ように行動に移る。わたしの場合、新しい小説に挑むとき、いつも『こんなモチーフの小説なんかむずかしすぎて自分に書けるわけがない』と思う。あきらめではなく、考え抜くために、また準備期間に耐えられるように、自分で危機感を煽るのだ。どんな挑戦でも、そのための準備は、とても地味で、基本的に孤独な作業となる。だが、その地味で孤独な作業だけが、断崖から身を投げる勇気を与えてくれる。そして、成否ではなく、準備の過程だけが、さらなる挑戦への自信となる」(村上龍)
 「ああ、本当にそうだな。だからこれは私にとって価値ある挑戦なのだろう」と実感しました。なので、いつか次の目標が見出されたときに、今回の経験が何かしらの形で役に立つことを期待しています。