(はじめに)
・作品『聲の形』の存在は知っていたものの、原作(漫画)を読んだことはありません。作中のいじめ描写が残酷と聞いており、小学校から高校までの自分過去の不手際を思い出し、辛い気持ちになることが予想されたので。
・現在、聴覚障碍を持つ仕事の同僚が2人おり、うち1人とは朝から夕方まで主に無駄話をしながら仕事をしています。聴覚障碍者との交流体験を得ることになり、またその人から『聲の形』を紹介されたので、観ることにしました。

(全般)
・聴覚障害やいじめもあるけど、未成熟な人同士の意思疎通や交流が主なテーマの作品でした。
・思ったよりマイルドな作りでした。監督(山田尚子さん)と脚本(吉田玲子さん)の個性でしょう。もっとシビアな仕上がりにもできたはずです。
・聴覚障碍者の硝子(ヒロイン)による話し言葉はなかなか聞き取ることができないのに、書き言葉は完全に理解できることに将也(主人公)も驚いていた場面は自然でした。これは私も聴覚障碍者との会話で驚いたことの一つです。
・手話教室の最中に植野(主要キャラクター)が、「私は筆談でいいんですけど」と反発する場面があります。確かに手話より筆談が手っ取り早く意思疎通を図ることができることは同僚との会話で理解したので、彼女の主張も理解できます。ただ彼女の本旨はそもそも免疫のない他者を拒絶するための方便ではありますが。
・植野が硝子に対して「私はあんたのことが嫌い」と言い放つように、他人にはっきり「嫌い」と表明することがめっきり減ったなと振り返りました。嫌いな人ができるよりは好きな人ができるほうが楽しく過ごせるので、今では人を嫌いになるよりは好きになることの方が多いし、嫌いになりそうな人とはそもそも距離を取ります。他人と適切な距離感を取らない、あるいはできないのが「子ども」なのかもしれません。それこそ大学生の頃まで、自分自身も当然そうだったと思います。

(個別)
・硝子の一言目の演技(「はっ」という驚きを込めた息)が素晴らしかったです。
・硝子の自殺未遂後に、ゆづる(硝子の妹)が「私の監督不行き届きで…」という場面で、ゆずるが硝子保護を自己アイデンティティにしてきたことがよくわかります。直前の場面(おばあちゃんとゆづるとの会話)でも伺えます。
・マリアちゃん(将也の姪)、永束(主要キャラクター)、おばあちゃんのおかげで、ただでさえシビアになりかねない作品の雰囲気が和らいでいました。
・美也子(将也の母)と八重子(硝子の母)は、互いの息子と娘の複雑な交流を通じて、最終的には自分たちも友人関係を築いています。自分も大人として、2人が良識的な大人として描かれていることに安堵感を覚えました。
・川合(主要キャラクター)がこの上なく不愉快。主要キャラクターのうち、この人だけが成長していません。自分の加害を自覚せず、自分を常に正義の立場に置いています。自殺未遂後の硝子に対するセリフ(「一人で悩んで死んだらダメ」云々)がキャラクターの性格に合っていて、更に腹が立ちました。ただ不愉快だったのは、昔の自分にも通じる一面があるからでしょう。また彼女をそのように描くことで、子ども社会の関係性を浮き彫りにすることもスタッフの狙いかと思います。

(おわりに)
・感情を強く揺さぶられました。勇気を出して、原作(漫画)も読んでみます。