過日、印象に残った会話が仕事中にありました。

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 Aさん(以下A)「すみません、会議で説明したいことがあるんですけど」
 宮田(以下宮)「はい。調整しますので、誰が喋るのかを教えてください」
 A「・・・『喋る』!?・・・素晴らしい会社だね!!」
 宮「・・・」
 
 (文脈上、応答の意味が分からず、若干の間が空く)

 A「では後程連絡します」
 宮「はい」
 
 (会話終了)
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 という謎の会話でした。

 どうも釈然としないので少し考えたところ、Aの発言の意図などについて考えが思い浮かびました。
 
 ・「(『喋る』なんて言葉を会社で使う世間知らずのアホでも雇ってくれているんだから)素晴らしい会社だね!!」という皮肉を、Aは宮田に言おうとしたのでは。
 ・上述の皮肉であるとすれば、Aは小物だ。所詮は(会社上の付き合いの)他人に過ぎないのだから、宮田をアホと見なすなら「こいつはアホだ」と内心で判断すれば良いだけのことで、わざわざ本人に言って、精神的な優位性を自分で確認する必要はなかろう。


 一方で、宮田がふと使った「喋る」という表現についても考えが思い浮かびました。

 ・「喋る」という表現は、(少なくともAのような人間が否定的な反応をすることがあるのだから、)会社で使うにしてはあまり適切な表現ではないようだ。「喋る」ではなくて「説明する」とでも言えば、Aが上述のような反応をすることもなかっただろう。
 ・Aの反応にかかわらず、宮田も「喋る」という表現が「大人っぽい表現」ではないとは思っていたけれど、どうしてそういう風に感じるのかはよく分からない。一つの言語体系のなかで、どの表現が適切でどの表現が適切ではないかは社会的な文脈、社会的な制約条件に依存しているのだけれど、それらを特に意識して普段から言語を使っているわけではない。


 さらに、母語を使う場合と非母語を使う場合についても考えが思い浮かびました。

 ・宮田にとっての母語である日本語でも上述のような「不適切な用法」を使ってしまうことがあるのだから、非母語でも同様のことが起こるだろう。例えば、「洗面所」を指す英単語は複数あり、"loo"は大変砕けた(卑猥な意味を持ちうる)表現で、公衆の面前で使う単語ではなく、"restroom"や"washroom"を使うべきとされている。文章は理解できるけれど、「どうしてそういうことになっているのか」という社会的な文脈、社会的な制約条件は皆目分からない。


 普段、誰とどのようなことについて話したかを逐次覚えておくのはなかなかできないのだけれど、上述のような考えが浮かんだので、Aとの会話は印象に残りました。