2013/4/7 2回目読了。
 軍備、経済交流、国際機構などを検討しながら、具体的な平和と権力闘争を説く、国際政治学の入門書。
 
 国家は、力の体系であり利益の体系であると同時に、価値の体系でもあります(p.17)。国家が複数あることで、国際社会にはそもそもいくつもの常識があり、いくつもの正義があります(p.19)。国家間の関係は三つの体系が絡み合った複雑な関係であり、複雑な関係が国家間の平和の問題を困難なものとしています。

 軍備と平和については軍備縮小の選択肢に、経済交流と平和については経済援助と南北問題に、国際機構と平和については国際連合の役割に焦点を当てて論じています。いずれの分野においても、「対立の真の原因を求め、除去しようとしても、それは果てしない議論を生むだけで、肝心の対立を解決することにはならないのである。それよりは対立の現象を力の闘争として、あえてきわめて皮相的に捉えて、それに対処していくほうが賢明なのである」(p.198)と控えめな主張を提示します。この控えめな主張は現実主義とも言えます。「現実主義は絶望から出た権力主義のすすめではなく、問題の困難さの認識の上に立った謙虚な叡智」(p.201)です。
 
 このほか普段の生活において示唆深い記載がありました。以下のとおり。
 
「平和の問題に対する人びとの態度は、あまりにも単純なものでありつづけてきた。おそらくその第一の理由は、われわれの知的な怠惰に求められるかもしれない。戦争の原因をある特定の勢力に求め、それを除去することによって平和が得られるという善玉・悪玉的な考え方は、われわれ人間が行動力には勤勉でも、知的には怠惰な存在であることに原因している。昔から、困難な状況に直面した時の人間の態度は、いつも判で押したように同じであった。そんなとき人間は、いつも非難すべき悪い人間や悪いものを見出して、それを血祭りにあげてきたのである。そしてそれは、二重の意味で人間の知的労働を省いてきた。
 まず、それは単純明快であった。つぎにそれは、普通の人びとのほうはなにも変化しなくてもよく、それまでどおりの生活をつづけることを可能にするものであった。もちろん、このような思考法で問題を解決することはできない。しかし悪役を除去する必要が、人間の闘争心を駆りたて、人間を行動的に勤勉にさせた。しばしば、悪玉と善玉のあいだに闘争がおこなわれた。そして、闘争というものは人間を酔わせるものである。闘争のあとで人間は、問題が解決されたと思うことができる。それに闘争は、社会をゆさぶることによって、じじつ少しは問題を解決するのである」(p.13-14)