2012/2/9 2回目読了。
 第二次世界大戦にてドイツのユダヤ人強制収容所に収容された「ごくふつうの」人(著者は心理学者であるが、彼曰く「ただの119104番でしかなかったと、胸を張って言いたい」(p.6))による収容所生活の体験記を、「心理学の立場から解明してみよう」(p.7)とした本。

 本では強制収容所における生活の段階を3つに分けている。
 第1段階は施設に収容される段階。それまで人間として扱われていた人が人間ではなく記号として扱われることに衝撃を受ける。
 第2段階は収容所生活そのものの段階。本の大半はこの段階について書かれている。極端な飢えから、自分と自分の周囲が生き残ることだけにしか関心がなくなり、大半の人間が刻一刻と変わる状況(本中では「運命」とも表現される)に怯えつつ翻弄されるようになる。一方でごく少数の人間が崇高な精神を持つようになる。
 第3段階は収容所からの出所ないし解放の段階。自由を獲得し、記号から人間に復活しようとする人たちが社会の復帰に困惑する。

 1回目に読んだとき(5年前)に読んで心を揺さぶられっぱなしでした。読んだ時期が就職活動で不安定な精神状態であったことも、心の揺さぶりに拍車を掛けた。今回、落ち着きながらじっくり読むことができた。


 以下は本の書写。

 第1段階
 「日々のパンのための、あるいはただたんに生き延びるための戦いを熾烈をきわめた。自分自身のためであれ、あるいは友情でむすばれたごく小さな集団のためであれ、とにかくわが身かわいさから、人は容赦なく戦った」(p.3)

 「シャワーを待っているあいだにも、わたしたちは自分が身ぐるみ剥がれたことを思い知った。今や(毛髪もない)この裸の体以外、まさになにひとつ持っていない。文字どおり裸の存在以外のなにものも所有していないのだ。これまでの人生との目に見える絆など、まだ残っているだろうか。たとえばわたしには、眼鏡とベルトが残っていた。もちろん、遠からずひとかけらのパンと交換しなければならなくなったが」(p.23)


 第2段階
 「大多数の被収容者は、言うまでもなく、劣等感にさいなまれていた。それぞれが、かつては『なにほどかの者』だったし、すくなくともそう信じていた。ところが今ここでは、文字通りまるで番号でしかないかのように扱われる(より本質的な領域つまり精神性に根ざす自意識は、収容所の状況などにはびくともしなかったのは事実だが、どれだけ多くの人びとが、どれだけ多くの被収容者が、そうした確乎とした自意識をそなえていただろうか)。ごく平均的な被収容者は、そうしたことをさして深く考えることも、それほど意識することもなく、なりゆきにまかせてとことん堕落していった」(p.105)

 「人間は体質や性質や社会的状況がおりなす偶然の産物以外のなにものでもないのか、と。そしてとりわけ、人間の精神が収容所という特異な社会環境に反応するとき、ほんとうにこの強いられたあり方の影響をまぬがれることはできないのか、このような影響には屈するしかないのか、収容所を支配していた生存『状況では、ほかにどうしようもなかったのか』と。
 こうした疑問に対しては、経験をふまえ、また理論にてらして答える用意がある。経験からすると、収容所生活そのものが、人間には『ほかのありようがあった』ことを示している。その例ならいくらでもある。感情の消滅を克服し、あるいは感情の暴走を抑えていた人や、最後に残された精神の自由、つまり周囲はどうあれ『わたし』を見失わなかった英雄的な人の例はぽつぽつと見受けられた。一見どうにもならない極限状態でも、やはりそういったことはあったのだ。
 強制収容所にいたことのある者なら、点呼場や居住棟のあいだで、通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、なけなしのパンを譲っていた人びとについて、いくらでも語れるのではないだろうか。そんな人は、たとえほんの一握りだったにせよ、人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、与えられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない、実際にそのような例はあったということを証明するには充分だ」(p.109-110)

 「人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。典型的な『被収容者』になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。
 (中略)
 彼らは、まっとうに苦しむことは、それだけでもう精神的になにごとかをなしとげることだ、ということを証していた。最期の瞬間までだれも奪うことのできない人間の精神的自由は、彼が最期の息をひきとるまで、その生を意味深いものにした。なぜなら、仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、美や芸術や自然をたっぷりと味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。そうではなく、強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。
 そこに唯一残された、生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた。被収容者は、行動的な生からもとっくに締め出されていた。しかし、行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。そうではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在は初めて完全なものになるのだ。
 おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。生きしのげられないのなら、この苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。しかし、わたしの心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから」(p.111-113)

 「生きることが私たちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
 この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。したがって、生きる意味を一般論で語ることはできないし、この意味への問いに一般論で答えることもできない。ここにいう生きることとはけっして漠然としたなにかではなく、つねに具体的ななにかであって、したがって生きることがわたしたちに向けてくる要請も、とことん具体的である。この具体性が、ひとりひとりにたったの一度、他に類を見ない人それぞれの運命をもたらすのだ。だれも、そしてどんな運命も比類ない。どんな状況も二度と繰り返されない。そしてそれぞれの状況ごとに、人間は異なる対応を迫られる。具体的な状況は、あるときは運命を自ら進んで切り拓くことを求め、あるときは人生を味わいながら真価を発揮する機会をあたえ、またあるときは淡々と運命に甘んじることを求める。だがすべての状況はたったの一度、ふたつとないしかたで現象するのであり、そのたびに問いにたいするたったひとつの、ふたつとない正しい『答え』だけを受け入れる。そしてその答えは、具体的な状況にすでに用意されているのだ。
 具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、たった一度だけ課される責務としなければならないだろう。人間は苦しみと向きあい、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ」(p.129-131)


 第3段階
 「とくに、未成熟な人間が、この心理学的な段階[訳注:第3段階]で、あいかわらず権力や暴力といった枠組にとらわれた心的態度を見せることがしばしば観察された。そういう人びとは、今や解放された者として、今度は自分が力と自由を意のままに、とことんためらいもなく行使していいのだと履き違えるのだ。こうした幼稚な人間にとっては、旧来の枠組みの符号が変わっただけであって、マイナスがプラスになっただけ、つまり、権力、暴力、恣意、不正の客体だった彼らが、それの主体になっただけなのだ。この人たちは、あいかわらず経験に縛られていた」(p.152-153)

 「強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来に目的を見つめさせること、つまり、人生が自分を待っている、だれかが自分を待っていると、つねに思い出させることが重要だった。ところがどうだ。人によっては、自分を待つ者はもうひとりもいないことを思い知らなければならなかったのだ…」(p.155)

 「そしていつか、解放された人びとが強制収容所のすべての体験を振り返り、奇妙な感覚に襲われる日がやってくる。収容所の日々が要請したあれらすべてのことに、どうして耐え忍ぶことができたのか、われながらさっぱりわからないのだ。そして、人生には、すべてがすばらしい夢のように思われる一日(もちろん自由な一日だ)があるように、収容所で体験したすべてがただの悪夢以上のなにかだと思える日も、いつかは訪れるのだろう。ふるさとにもどったすべての経験は、あれほど苦悩したあとでは、もはやこの世には神よりほかに恐れるものはないという、高い代償であがなった感慨によって完成するのだ」(p.156-157)