2012/9/26 2回目読了。
 イギリスのパブリックスクール(私立学校)の生活を紹介した本。著者は幼少期にパブリックスクールで過ごしました。自由の精神が厳格な規律の中で育まれていく教育システムを描いています。著者の高潔な人格を伺わせる文も多数。「パブリック・スクールのそれ[生活]は、きわめて制限された、物質的に苛薄な生活である。そしてそれは、パブリック・スクール教育の主眼が、精神と肉体の鍛錬におかれているからに外ならない。これは、よい鉄が鍛えられるためには必ず一度はくぐらねばならない火熱であり、この苦難に堪えられない素材は、到底、その先に待つさらに厳酷な人生の試練に堪えられるものとは考えられないからなのである。叩いて、叩いて、叩き込むことこそ、パブリック・スクールの本質」(p.6-7)である。
 
「少年の生活を訪れる個々の現実は、ただ現実として無関心にこれを見送りながら、時を経てこれを反省する機会を得ると、初めてその無関心を悔んだり、またはその後の経験と分別によって得た判断を、すでにその当時から持ち合わせていたかのような錯覚に陥る、―人の一生にはそのような例は決して少なくないと思う。有難いことには、現実が如何に苦悩に満ちたものであっても、時の経つにつれて、人はそれに馴れたり、それを忘れたりする習性をもっている。無限の苦悩という言葉はあるにしても、実際は果して如何なるものか。そう数多くあるものとは思われない。世が終わるかと思われる嵐でさえもいつかは必ず雲が晴れる、雲の彼方には常に陽が輝いているのである。平凡なこの道理を、彼等をその耐乏生活によって体得している。その生活に馴れるまでは辛い。幾度繰り返しても、学期初めの数日は正に地獄である。しかしこれに堪え、これを忍べば、やがて学校生活が苦しみのみではないことが判る。豊かな家庭生活では思いもよらない愉快が必ずそこに待っていることを悟るし、バターはトーストの両面には塗ってない、その一面だけを見て捨ててしまうのは愚であることを知るのである。忍耐の精神がそこに生れ、少年達自身は幾度か繰り返された経験をもとに、たとい無意識であるにせよ、人間のもつ適応性を信頼して、正面から現実と取り組んでゆく勇気が起こるのである」(p.88)。

 
「パブリック・スクールにあっても、基本的な自由は与えられている。正しい主張は常に尊重され、それがために不当の迫害をこうむることがない。如何なる理由ありても腕力を揮うことが許されず、同時に腕力弱いがための、遠慮、卑屈、泣寝入りということがない。あらゆる紛争は輿論によって解決され、その輿論の基礎となるものは個々のもつ客観的な正邪の観念に外ならない。私情をすてて正しい判断を下すには勇気が要るし、不利な判断を下されて何等面子に拘ることなくこれに服すにも勇気を必要とする。彼等は、自由は規律をともない、そして自由を保障するものが勇気であることを知るのである」(p.157)。